逸見 祥希 yoshiki hemmi | photographer
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「君は生きているんじゃなく、死んでいないだけだよ。」
彼女はそう言った。大学最後の夏だった。
僕は故郷に帰りたいのか、
それとも、あたたかで安心に溢れていたあの日に帰りたいのか、分からなかった。ずっとそうだった。
外からは静かな雨音が聞こえていた。
穏やかで平和だった実家の光景が浮かび上がる。
祖母の作るご飯の匂い。
おかえりの優しい声、車の音は遠くに聞こえる。
栗の木を揺らす風、音。
のどかな空気に溶け込むように、キジバトが穏やかに鳴いている。
やらなければいけないこともなく、ボーッとしていた
ただただ優しく、美しい時間が横たわっていた。
あの頃、身の回りにあった大切なものは遥か遠くに行ってしまった。
今はうんと手を伸ばして、時間と、お金と、安定した心と、体力が無ければ、
手に入らないものになってしまった。
この生活にいつか慣れるものだと思っていた。
一人で息をし、都会の喧騒に包まれ、溶け込んでいく。
空はいつだって明るくて、季節の色も匂いもない。
やりたいことに向かって進んでいくうちに、たくさんの物を落としてきてしまった。
自分の心の中心にある透明な部分が削られていく感覚があった。
心ない一言に、何度傷ついてきたことだろう。
毎日何かしらのストレスを持ち帰り、ワンルームの隅に溜まっていく。
慣れることはなかった。
慣れると思っていた。
もう限界だ。
そう思った時、いつでも辛い時に思い浮かぶのは故郷の景色だった。
いつもそばにあった。
そして愛していた。
当時の朧げな記憶は、
今、はっきりとした輪郭を持って、僕の心を締め付けている。
あの人に会いたいと思う。
ただひたすらに帰りたいと思う。
生きている実感が欲しかった。
指先を朝日が照らしている。
張り詰めた空気はよく澄んでいて、凪いでいる。
どこまでも見渡せる気持ちのいい景色が広がっていた。
透き通る空の向こうに、故郷の海が見えそうだ。
意識を遠くに飛ばし、目を閉じて深く息をする。
今の自分には何ができるだろうか。
一筋の乾いた風が吹いた。
季節の火照りを冷まし、世界の色は徐々に失われていく。
ずっとこの時が続けばいいのにと、何度も願っていた。
そうしてまた今年も夏が、終わっていく。
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